日本ワインはここ十数年で大きな成長を遂げ、いまや全国47都道府県におよそ500のワイナリーが存在すると言われています。北海道・余市や山梨・勝沼といった歴史あるエリアから、九州や四国の新興ワイナリーまで、まさに「日本ワインの多様性」が花開いた時代に突入しました。
しかし、産地ごとに抱える課題も少なくありません。地元イベントに人が集まらない、運営ノウハウが不足している、アクセスが悪く観光資源として十分に活かせていないなど、現場には現実的な壁が存在します。一方で、東京をはじめとする都市圏ではワインイベントが飽和状態にあり、消費者の目はますます厳しくなっています。
では、この先の「日本ワイン産地の未来」はどのような方向へ進むべきでしょうか。本稿では、私が最近、北海道の余市「ラ・フェット」に参加し、仁木町のニキヒルズに滞在した体験を起点に、現場で見えた課題と可能性を整理しながら、これからの生き残り戦略を「グルメツーリズム」という視点から考えてみたいと思います。

はじめに:余市ラ・フェットに見た熱気
北海道・余市で開催された「ラ・フェット」は、まさに日本ワインの現在地を象徴するイベントでした。
朝まで降っていた雨が奇跡的に回復し、全国から集まったワインファンが一斉にブドウ畑の丘に広がる景色の中でグラスを傾ける──その光景は、日本ワインが確実に「市民権」を得たことを実感させるものでした。
一方で、「この成功は決して全国どこでも再現できるわけではない」という現実も、同時に考えさせられるものでした。

日本各地のワインイベントが抱える課題
集客に苦戦する地域イベント
全国各地でワインイベントは開催されていますが、その集客状況には大きな差があります。余市ラ・フェットのように成功しているものもあれば、地元のイベントに人が集まらない事例も少なくありません。その背景には、運営ノウハウの不足や広報力の弱さがあります。SNSやウェブを使った効果的な告知、外部メディアへのリーチなど、今の時代に必須のスキルが不足していると、せっかくのイベントも埋もれてしまうのです。
産地全体の協力不足
さらに深刻なのは、産地内での協力体制が弱いことです。複数のワイナリーが点在していても、個々で動くだけでは「観光コンテンツ」としての力を発揮しにくい。結果的に単発のイベントや試飲会に留まり、広域から人を呼び込む力が欠けてしまいます。
アクセスの悪さという根本問題
また、地方産地における最大の壁はアクセスの不便さです。首都圏からの直行交通が乏しい地域では、いくらイベントを整えても参加者にとってはハードルが高く、リピートにはつながりにくいのが実情です。

東京におけるワインイベントの飽和と課題
毎週のように開かれる試飲会
東京では、インポーターや自治体主催のイベント、百貨店の催事、ワインバーでの小規模試飲会まで、数え切れないほどのワインイベントが開催されています。その結果、消費者からすると「どれに参加しても似たような体験」という印象になりがちです。
消費者心理の変化と財布の紐
加えて、消費者心理にも変化があります。コロナ禍を経て、イベント参加に対する期待値が高まり、「ただ試飲できるだけ」では満足できない人が増えました。さらに生活防衛意識が強まり、お金を払って参加するイベントにはより厳しい目が向けられているのです。
差別化のための工夫
この状況で成功するイベントには、必ず「付加価値」があります。例えば、
- 生産者自身によるトークやセミナー
- 限定のフードペアリング体験
- 参加者限定のワイン購入特典
- 学びと交流を組み合わせた体験設計
すでにこうした取り組みは行われていますが、最低でもこのくらいの仕掛けがなければ、都市圏では消費者の関心をつなぎとめることは難しくなっています。

47都道府県500ワイナリーという現実
ワイナリー数の急増
ここ10年で日本ワイナリーの数は急増しました。47都道府県のほぼすべてに存在し、総数は500近く。小規模ながら地域色を反映したワイナリーが増え、多様性は確実に豊かになっています。
今後のシナリオ
ただし、この状況が長期的に持続するかは未知数です。淘汰が始まる可能性もある一方で、「小規模で多様な日本ワイン」というユニークな構図が評価され、文化的価値を高めていく可能性もあります。
世界からの注目
実際、海外のコンクールでの受賞例は増え続けており、世界的にも「Japan Wine」というカテゴリーが認識され始めています。ここで重要なのは、単にワインの品質を高めるだけでなく、産地全体のブランド力をどう上げていくかという視点です。

ワインツーリズムの現実と限界
ニキヒルズの成功例
ワインツーリズムの成功例としてよく語られるのが、北海道・仁木の「ニキヒルズ」です。ここではブドウ畑や醸造所に加え、レストランやホテルも併設され、滞在型の体験が可能です。しかし、これは大規模な投資と北海道という観光ブランドがあってこそ成立している特別な事例です。
多くのワイナリーが抱える制約
多くの地域のワイナリーは規模が小さく、宿泊施設や複合的な観光設備を併設することは難しいのが現実です。そのため、ワインツーリズム単体で観光資源として成立させるのは限界があります。

グルメツーリズムという選択肢
食材との掛け合わせで広がる可能性
ここで注目すべきは「グルメツーリズム」です。ワインを地域の食材と組み合わせることで、その土地ならではの体験を創出できます。たとえば、
- 島根の和牛と、島根の地元のワイン
- 静岡の駿河湾の魚介と、静岡の白ワイン
- 北海道の野菜と余市のピノ・ノワール
こうした食とワインの融合は、訪れる価値を何倍にも高めてくれます。
観光動機を強化する
観光客にとっては「ここでしか食べられない料理」「ここでしか飲めないワイン」という唯一性が、旅の大きな動機になります。グルメツーリズムは、まさに観光と地域経済をつなぐ強力な手段なのです。
ストーリー発信の重要性
加えて大事なのは「ストーリーの発信」です。単にワインと料理を並べるのではなく、生産者の思いや土地の歴史を物語として伝えることで、体験が記憶に残りやすくなります。これはSNS時代において欠かせない要素です。

産地全体で取り組むべきこと
競争から共創へ
今後の成長には、近隣ワイナリーや隣接地域との共創が欠かせません。お互いを競争相手と見るのではなく、「産地」というブランドを共に築き上げる視点が重要です。
発信力を強化する
広域でブランド化し、統一されたメッセージを国内外に発信できれば、個々のワイナリーでは届かない規模の効果を得られます。観光地としての「産地ブランド」が確立されれば、結果的に全ての関係者に利益をもたらします。

結論:未来に向けたマインドセット
余市ラ・フェットで感じた熱気と、全国で見える課題。その両方を踏まえ、私が辿り着いた結論は明確です。
- ワインツーリズム単体では限界がある
- 地域食材と観光を掛け合わせた「グルメツーリズム」こそ現実的な成長戦略
- 競争ではなく共創による「産地ブランド」構築が必要
ここに加えて、もう一つ重要な視点があります。
それは「日本ワインの個性をどう世界に伝えていくか」という問いです。
ニュージーランドはワイン新興国ながら、今やソーヴィニヨン・ブランの産地として確固たる地位を築きました。マールボロ地方の爽やかでアロマティックな白ワインは、世界中のワインファンに知られています。品種と産地を結びつけ、明確なイメージを打ち出したことが、短期間でのブランド確立につながりました。
日本も同じように、戦略的な切り口を見出すことができるのではないでしょうか。
例えば、甲州やマスカット・ベーリーAといった在来品種を「日本固有の味わい」として育てていく道。
あるいは、世界が注目する「和食」とのベストペアリングドリンクとして、日本ワインを強く打ち出す道。
どちらも日本独自の強みを生かした戦略になり得ます。
つまり、日本ワインには「品種」「食文化」という二つの柱があり、それをどう磨き、発信するかで未来の姿が変わります。産地としての共創とあわせて、この方向性を明確に描いていくことが、次のステージに進むための大きな鍵となるのです。
いまこそ、各産地がそれぞれの強みを見つめ直し、世界に通じる物語を描くとき。
日本ワインの未来は、まだ白紙のキャンバスのように広がっていると感じています。